大部分の感染者が無症状ということは、誰が感染してるか分からない見えない敵に囲まれているような状態ともいえます。スーパーに行くだけで顔や目を触らないように気をつけて、帰ってきてから最初にやることは20秒以上手を洗うことが必要不可欠になっています。ワクチンがいつできるのか、出来たとしても本当に健康に害がないのか分からない中で、どこか安全な場所に避難する「プランB」があるとしたら一体どこになるのでしょう。
もしリモートワークが出来る状況であれば、ある程度現実的かも知れません。プランBの場所は、滞在許可証などのペーパーワークさえ済めばプライベートジェットがなくても行けるところにあります。もっとも、人里離れたところに行けば行くほど適切な医療を受けられるチャンスも少なくなります。でも、都会にいてもイタリアやニューヨークのような状況になってしまったら結局医療サービスは受けられないことになります。
もし夏の暑さを避けて少し涼しいところに行きたい気分であれば、グリーンランドはオープンしてます。グリーンランドが最後の感染者を確認したのは7月29日です。その前の感染例はさらに遡って5月29日です。この世界最大の島ではコロナウイルスで死んだ人は一人もいないため、致死率は0%になっています。実にオーストラリアの30%近い面積を誇る島に、6万人以下しか住んでいません。ニュージーランドが第二波の抑え込みに血眼になっているのをよそ目に、結局グリーンランドは8月になってから一人も感染者を出しませんでした。これはグリーンランドが地理的に有利な場所にあるからではありません。グリーンランドの高齢者の多くは、20世紀のアウトブレイクをまだはっきりと覚えています。グリーンランドでは20世紀前半結核が猛威を振るいました。1950年代には天然痘が島を襲い、またA型肝炎は1970年代に上陸しています。グリーンランドの歴史は病気との戦いの歴史と言っても過言ではありません。その結果、グリーンランドは”集団免疫”を手に入れたのです。孤立という状況に対する免疫です。3月16日に最初のコロナウイルス感染者が確認された3日後、グリーンランドの首都ヌークは完全に封鎖されました。グリーンランドでは町や村をつなぐ陸の交通路がありませんが、国内線はデンマークやアイスランドと結ぶ国際線とともに取りやめることが強く推奨されました。ロックダウンは約2週間続きましたが、グリーンランドの初代保健大臣はまだ不満でした。彼は地方紙に対して、ロックダウンは少なくとももう12ヶ月は続けるべきだったと話しています。彼の発言はただの心配に根ざしていたわけではありません。事実として、グリーンランドには国家としてICUに4床しかないのです。国の戦略はシンプルでした。”時間を稼げ”、というものです。グリーンランドの医療長官ヘンリック氏は地方紙に、「島の外の状況は依然として完全に予測不能であり、外からの必要な支援を期待出来るかは分からない。これら全ての要素を総合して勘案するに、現状で最も合理的な戦略は時間を稼ぐことだ。」と語っています。結果として、現在グリーンランドにはアクティブケースが1件もない状態となっています。
グリーンランドは7月21日に世界に対して再び開かれました。現在、陰性を証明する5日間以内の検査結果を持った観光客を暖かく迎え入れています。この検査はPCR検査である必要があり、抗体検査では入国できません。現地観光庁は、国内の移動時には常にマスクを着用することを推奨しています。ローカルツアー会社のガイドトゥグリーンランドはまた、グリーンランドへの観光を計画していた人たちに対し、キャンセルではなく延期するよう促しています。現地の観光業界が厳しい状況を生き残れる唯一のチャンスがそれだからです。居住国の状況が悪くなった時、いつでも暖かく迎え入れてくれる安全圏をプランBとして常に覚えておくのも悪くないかも知れません。